ツナワタリマイライフ

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「夏フェス革命」を読んだ

はじめに

読んだ。

夏フェス革命 ー音楽が変わる、社会が変わるー

夏フェス革命 ー音楽が変わる、社会が変わるー

レジーさんは以前からTwitterでフォローしているのと、個人的にも夏フェスって音楽だけ楽しむ感じではなくなってきてるよね、という、本書の主張の1つを感じていたので、購入。

読書メーターには記録したけど、あらためて雑多に感想をブログに書き留めておく。

bookmeter.com

夏フェスがどのように変わっていったかを、客観データのみ使って分析している本。SNSによる可視化と、顧客の価値変更に主催者側も迎合する"協奏"はなるほどその通りと思いました。個人的にはより主催側につっこんで(手を組んで)本当のデータを使っての分析か、最後の章の未来のフェス、あるいは音楽がどう変わっていくかの予測がもっと聞きたかったなと思いました。

4つの章で構成されている。章ごとに振り返っていこう。

1章 フェスは「協奏」によって拡大した

すべての章に登場しているように、本書では「協奏」が大きなキーワードとなっている。ここで本書より「協奏のサイクル」の定義を引用しよう。

  1. 商品/サービスの提供
  2. ユーザーによる顕在化していない価値への着目
  3. ユーザー起点での新たな遊び方の創出(異なる概念との組み合わせ含む)
  4. 企業が当初想定していたクラスターとは異なる層によるファンベースの拡大
  5. 企業による新たなユーザー層・楽しみ方の取り込みとそれに合わせたリポジショニング (p64)

フェスは自由だ。ユーザー(参加者)は自由に、自分の楽しさを見つけることができる。

SNS時代において、そのユーザーの声が可視化されやすい状況になり、主催者側がその声や、新たな楽しみ方を容易に確認することができる。その可視化によって、当初想定していなかったユーザーが流入し、また新たな楽しみ方が可視化される。

このサイクルの後、可視化された楽しみ方に合わせて主催者は別の価値を提示する。このサイクルを本書では「協奏のサイクル」と呼んでいる。

当初はコアな音楽ファンだけが知っている、過酷なフェスが、今や音楽を必ずしも第一と考えていない層も気軽に楽しめる、快適なフェスへと変遷していることをうまく説明していると思う。

2章 ケーススタディ:「協奏」視点で見るロック・イン・ジャパンの歴史

本章ではたくさんあるフェスの中から、「ロック・イン・ジャパンフェス」に着目、どのような歴史をたどって変化してきたかを解説している。

ヒットチャートとしての側面、出演者の特色(ロックの定義)、快適さへの追求など、一度ロッキンに参加したことがあるひとなら納得するだろう。

ただ個人的にはGRASS STAGEに立つアーティストの分類がいまいちしっくりこなかった。MECEではないというか、曖昧というか。。。

  1. 超大物 ... 桑田佳祐、B'z、ゆず、ポルノグラフィティ
  2. 幅広く知られており、特に若年層から強い支持を受けているアーティスト ... PerfumeももいろクローバーZ欅坂46きゃりーぱみゅぱみゅ、miwa、back number、サカナクションRADWIMPSSuchmos
  3. このフェスの功労者 ... Dragon Ashエレファントカシマシ
  4. 今のロックシーン・フェスシーンにおける地位を確立している存在 ... the HIATUSMONOEYES10-FEETマキシマムザホルモン
  5. 今のロックシーン・フェスシーンでの足場を固めつつある存在 ... KANA-BOON、[Alexandros]、WANIMA

(p101-103)

面白いのはロッキング・オン創刊時の「読者投稿」から作り上げる、という性質から今のフェスの「協奏」はDNAとしてあったのでは、という分析。

徹底した顧客視点、顧客体験を第一にする企業姿勢が関係しているというのは確かにそうかもしれないと思った。

3章 フェスにおける「協奏」の背景

冒頭で述べたが、フェスの変遷、「協奏」の背景としての社会の変化にフォーカスした章。具体的にはSNS(mixi)の流行、そしてTwitterが情報インフラとして機能しはじめたという分析もごもっとも。ファッション誌や漫画(モテキ)などの影響で社会的なフェスの価値観の変せんを追いかけている。客観情報のみでよくまとめ、分析できていると思う。

4章 「協奏」の先にあるもの

3章の最後で、以下のような挑戦が書かれている。

フェスが「時代を先取りするメディア」だとすると、現在のフェスにはこの先の時代のあり方がすでに投影されている可能性がある。そして、そんな「社会を見通す力」を持ち始めたフェスは、音楽業界のあり方にも当然影響を及ぼしている。(p203)

この章では2章でも触れたフェスがヒットチャート化していることや、フェスを中心にリリーススケジュールを組むことからフェスが音楽の中心であるという指摘があるが、「この先の時代のあり方が投影されている」ことへの解答にはなっていない気がする。

時代の変化があって、それにフェスが追随するのが「協奏」だとするならば、いち早く追随はされるかもしれないが、未来が投影されている論理にはならない気がするが、どうだろう。傾向を見て予測することはできそうだ。

今後の技術発展を鑑みると、「音楽だけを聴きに来ている」層は自宅からVR /5G等の技術を用いて自宅から1人で楽しみ、集団で一体感を楽しむ層や、音楽以外の快適さを目的にくる層だけが現地に来るようになると予想しており、それは正しいと思う。

以下は私見だが、フェスは確かにヒットチャート的な役割を果たしていて、かなり日本の音楽の中心となっているのはまぎれもない事実だが、個人的にはまだまだフェスは多様化していくんじゃないかと思う。今後、日本でもサブスクリプション型音楽サービス(聴き放題)が増えていくはず。そうなれば1つのアーティストを熱心に追いかけるというより、シーン、感情、季節、テーマ、、、様々な文脈に適した音楽が求められるようになり、ユーザーの需要も多様化していくだろう。

フェスが「協奏のサイクル」で変化していくことが今後も続くのであれば、現在の大手フェスで起こっている"一体感"や"レジャー"としての需要に応えるフェスもあれば、そのような一体感が不要なユーザーに対して、例えばヒットチャートに載らないようなニッチな音楽やジャンルを提供するフェスもあれば、例えば衣食住に徹底してこだわったフェスも出てくるだろう。

いずれにしても、音楽の多様化、ユーザーの好みの多様化にともなって、これまでの「音楽フェス」という、アーティストが演奏して、それを見に行くという形はどんどん輪郭を崩し、他の文化と融合していくんじゃないかと思う。音楽が主役でいられる時代が終わってしまうのは、音楽好きとしては少し寂しいけれど。

おわりに

夏フェスの変化に対して、多様な切り口で分析していて楽しく読むことができた。

個人的には年に1回フェスに行くか行かないかになってしまったし、好きな音楽を好きなだけ見つつ、酒を飲むことを楽しんでいる派なので、音楽というよりはレジャーとして楽しんでいる。

この変化は良い悪いじゃなく、おのおのが自分に合ったフェスや音楽を探して、それこそ"自由"に楽しんでいられればそれでいいと思う。