はじめに
「君の名は」を見て、友人に「言の葉の庭みてほしい!」と言われたので見ました。もちろんネタバレです。
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君の名は の感想記事。
感想
映像の美しさ
もうアニメーション技術がそういうレベルなんだと思いますが、実際の映像を見ているかのよう。雨、緑、霧、雲、水滴、視点によってピントがあったり会わなかったり。。。
出会いのシーン
出会った瞬間に音が消えるシーンがいいですね。「はっ」って一瞬時間が止まって「あれ、あのひと。。。?」って思ったことをうまく表現してると思います。目に止まったんですね、それが見たことがあったかもしれないからか、単に美しさに見とれたのかは分かりませんが。
鳴る神の 少し響みて(とよみて) さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ
去り際に歌読んで去るなんてシーンあるかよ「は?なんて?えっ?帰るん?えっ?」ってなると思うよね。。。?(笑)
ピアノ
大好きです。ずっと聴いてたい。
いくら梅雨とは言え雨降りすぎでは?
いや作品否定みたいになっちゃいますけど(雨が重要だということはわかりつつも)こんな降る?????って思っちゃった(笑)
考察
ちょっといくつかテーマをあげて考えてみます。
靴職人への憧れ
なぜ靴職人を志すようになったんでしょうか。ヒントとなりそうなシーンは子どもの頃母親に靴をプレゼントしたところぐらい。父親に関しては現在どこにいるかわからない。父親が靴職人だったのか、それともそのとき母親が喜んでくれたことが忘れられなくて作るようになったのか。なんならそのプレゼントも実は手作りだったのか。そのあたりがまったく分かりませんでした。
「靴を作ることだけが自分を遠くに連れて行ってくれる」ことの根拠もわからなかった。それは靴だから、なのか。なぜ靴作りに熱心になれたのか。もう少しヒントが欲しかったです。
そしてこの憧れはかつて誰かに否定されたのでしょうか。兄が、恋人に「私の靴も作ってもらおうかしら」に対して「どうかな、10代の夢なんて〜」と言っているように、現実を諭すようなことを言ったのかもしれません。だからこその、「叶いっこない」って言われるのが怖くて、誰にも言えなかった。(言って否定されたのなら、はじめて他人に言ったことと辻褄が合いませんが。)
タカオの恋心
15歳の高校生が、学校をサボってたまたま合ったきれいなひとに恋をするのはとても自然です。ただ、この恋には「知らないこと」のブーストが大きいと思います。最後に「あなたは自分のこと何も話さない」と言っているように、相手を知りたいということは恋と錯覚するんですね。
これ、結構いいこと言ってて、別途noteにでも書こうと思ってるんですが、自己開示と好意ってある程度相関があるように、受け手は感じるんですよ。
自分のことを話してくれたってことは、あるレベルぐらいは自分のこと信頼しているんだと思うし、当然話そうと思う相手というからには、信頼があるから話す。自己開示度合いは好意って似てるんですよね。そしてその自己開示がまったくない相手に対して、ほんの少しのきっかけで(今回の場合は告白に対する返し)一気に崩れる。「あぁ、俺のこと否定的に思ってたから何も話さなかったんでしょ!!!」と。そりゃそうなるよ。そうなる。あの恋心のきれいな裏返しははじめてタカオの15っぽいところ。でも15じゃなくても、自己開示の無さが自分への興味への無さへ無理やり変換されることは、あるよ。
話さなくったって伝わるよ、自分のこと話さなくったって、あなたのこと好きだよ、あなたのこと好きだから、あなたの話きいてるだけでいいんだ、っていうの、分かるし、その通りだと思うんだけど、自分のことを話さすぎるひとは些細なことで相手からの信頼すら失うこともある。
雪野先生のタカオへの気持ち
雪野先生はタカオに恋をしていたのでしょうか。僕はNoだと思いました。告白を受けて赤面したり、楽しそうに笑ったり。確実に生徒という距離は超えた存在ではあったと思います。ただそれは安らげるあのベンチを共に過ごした思い出であり、感謝の存在であれど恋愛対象ではなさそうです。
先生やめたくせに「雪野さんじゃなくて雪野先生でしょ」は思わずツッコミたくなりますが(笑)受け入れても、否定してもないんですよね。タカオの告白に対して。「先生でしょ」は、迷ったあげく「そういう対象じゃないよ」を伝えたんだと思います。(それでタカオはショックを受けたと思われる)
実家に帰る事実だけを淡々と伝えた。その後涙して靴も履かずに(本当に靴履かなかったのは意味不明ですが、いや、さすがにどんなに急いでても履くだろ。靴がなくても歩けるように、の言葉を体現したかったんだと思うけど)走り出して、「あの。。。」のあと何を伝えたかったのは気になるところ。
彼の恋心に気づきつつ、作ってくれるお弁当に多少味覚も取り戻したり、少し前にひどい目にあった生活と比べ物にならないぐらい笑いのある時間だったと思うし、(教師であるぐらいだから)タカオの靴への夢も本気で応援していたんだと思う。それは生徒だとか恋だとかと明確に線引されるものではなく、「ずっと同じままではいられない」安らぎの時間と存在だったんだと思う。
だから、「救われてた」ということと、実家に戻るという事実だけを伝えたのかなと思いました。
アメとハレ、15歳と27歳の対比
晴れの日は、自分が幼稚に見える。雨の日は時間を共有する。「あなたは別の世界のひとだ」とお互いが言っていました。
お互いが、雨の日が自分が知らない世界に行ける、近づける、触れられる日だったんですね。
そして15歳は27歳を経験してないから、「きっと自分はガキだ」となるけど、27歳は15歳を経験している。だから15歳の目線は分かっていて、何も変化してないと嘆く雪野先生。
知らない世界にきっと行けると信じるタカオに、やっぱり勇気づけられたんだと思う。15歳から何も変わらず、歩き出せない自分にと向き合う時間、その時間を共にしてくれたんだと思います。
おわりに
45分という尺がめっちゃ良かったです。2時間はなかなか長い。緑と雨、15と27の世界。テーマと対称性が明確で良い作品でした。
最後、緑の葉がついた靴、本当に素敵だった。渡しにいきなよ、四国まで。
追記
すすめてくれた友人がいてもたってもいられなくなって記事を書いてくれました。