ツナワタリマイライフ

日常ネタから技術ネタ、音楽ネタまで何でも書きます。

やりたいこと

「やりたいことはなんですか?」「人の役に立ちたい!!!!!」だとアレなので続きを綴る

仕事観の話。


ひとの役に立ちたい #とは

どちらかというと目の前の人の役に立ちたい。

例えば教育プロダクトとは人の役に立ってると思う。たまにユーザの声を聞く。あってよかったと言われる。それはとても嬉しいし誇らしい。自分自身が学生時代あったらよかったと思えるプロダクト。

事業やプロダクトの目指す先に共感できるかは大事だ。でも、その大義を自分自身で実現してやる、みたいなところまではいかない。アントレプレナーではないのだろうな、そういう人は多分身体が動いている。今一緒に新規事業やってる友人を見てもそう思う。自分はそうではない。

その代わり、やりたいことがあるその人に賭けて、その人のために何かをやりたいし、助けになりたい。

そういえば最初の就職先を選んだ時は一緒で働く人で選んだ。インターンを経験して、みんな専門性をもつプロでありながら、なんて素敵な人たちなんだと思った。

やっぱり一緒に働きたいと思える人と働きたい。現職はみんな話せば話せる、いい人たちで恵まれている。

自分のキャリアの大部分を占める、SRE としての働き方が今も大きい影響を持っている。目の前にいる開発者が、信頼性をコントロールできるようにする、快適に開発できるようにする。ちょっとした困りごとをすぐ解決できる、いてくれてありがたいという存在でありたい。

今は SRE から立場は離れたが、マネジメントをやりながら、開発部門以外の人たちの役に立ちたいと思っている。これは正式な仕事というよりは、自分がやりたいので、自分で決めて自分でやっている。

これは簡単ではない。ツールを導入したら終わりという話でもない。適応課題である。人に向き合う仕事である。そういう意味ではマネジメントがやるべき仕事でもある。

自分は根がネガティブである。ネガティブネイティブ、後天的ポジティブである。「どうせ自分なんて」が口癖で、めんどくさかった。

今もそれ自体はあまり変わってない。うまく折り合いをつけられた、とも言える。自分は自分でできることをやっていて、それは自分でも認められるようになった。でもベースが"自分なんて…"なので、基本「みんな最高じゃん」がスタートライン。だから、そんな最高のみんながさらに1.1倍、1.5倍、10倍活躍できる舞台を作ること、支援することをやりたいと思う。

つれづれ書いた。

例えば営業をする人は99%顧客に会いに行ける時間に使えたらいい。(資料作成の時間は寝てる間にやっておいたらいい) コンテンツを制作する人はソフトウェアのように試行錯誤を高速に繰り返して、顧客のフィードバックを受けながら作っていけるといい。事業戦略を考える人はビジネスに関するあらゆるデータと、それから得られる分析を得て、次の作戦を考えられるといい。

それには広義の技術が必要で、それを手助けしたい。このあたりが will か。

Can とかできること

とはいえ市場が求めるもの、需要があるもので自分のスキルが発揮できる方がありがたがられるよね。

マネジメントの仕事は、この3年半やって、それなりにやりがいを感じながらやれている。難しいこと、失敗したことも多々あるが。

マネジメントの仕事もまた、目の前の人に役にたつ仕事ではあると思う。感謝されるためにしているというとなんかちょっと違う気はするんだけど。目の前の人が新しいチャレンジができると嬉しい。成果を出して表彰されてると嬉しい。活躍していると嬉しい。そこにはまったく自分も…!みたいな気持ちはない。本当に。ネガティブネイティブなので…

このマネージャーのおかげ、と思われないぐらい、でも力を発揮できる場作りができるのが大切だと思う。これは美学かもしれない。自分の中の美学、ある。

あと AI と、手を動かすこと。これは続けている。普遍的な意味としては、マネジメントは定期的に現場感をキャッチアップしないと判断を誤るぞということ。間接マネジメントだけで判断はできなくはないんだが、現場感が離れすぎると説明コストが跳ね上がるので、そうなる前に取りに行ったほうがみんないいよね、という理解をしている。

自分ではない、スーパースターのみんなが輝ける場作りをする、という意味だとマネージャーの方が合っている気はする。マネージャーにはリーダーシップも求められるので、それも使い分けね。

経営とか事業とか

これまではミドルマネジメントをやってきた。でも、経営目標に対して強くコミットできている感覚はない。なんというか、求められる職務は果たしてるとは思うが、これでいいんだろうか感というか。

それこそ部長職をやる最初の最初は事業目標のための開発を計画通りに達成することが責務だと思っていた。それ自体は必要だし正しい。今はその結果責任を一緒に追うべきだと思っている。でもそのために全力で働きかけているか、というと、そこに自分の足りなさを感じる。

この辺りもっとやりたいが、雲を掴む感じだ。時間をかけて考えよう。

おしまい

結局こうやって一回考えて、で、目の前の仕事に全力出すんや!となって、その繰り返し。その先にまた新しいチャレンジがあるのだ。それを自分で作るんだ。